「条件を下げられないのは、これまでの人生に投資してきたから引けないだけ。サンクコストの誤謬だ」。
経済学的には、そう説明されることがあります。でも、本当にそうでしょうか。同じ「条件を下げない」という行動に、まったく別の読み方ができることを、考えてみましょう。
論文の論理を否定するのではなく、その論理に「別の解釈」を並べる試みです。
「サンクコストの誤謬」とは
まず、言葉を整理します。サンクコストの誤謬とは、「すでに払ったコストが惜しくて、合理的でない選択を続けてしまう」こと。
これを結婚に当てはめると、「これまでのキャリアやプライドが惜しくて、条件を下げられない」となります。なるほど、一理あるように聞こえます。
でも、それは「意思」かもしれない
ここで、別の読み方を並べてみましょう。条件を下げないのは、過去に縛られているからではなく、自分の意思で、そう選んでいるのかもしれません。
- 「妥協して不本意な結婚をするより、一人がいい」という、明確な判断
- 「自分が大切にしたいものを、譲らない」という、意思
- 「無理に結婚するメリットが、自分にはない」という、合理的な選択
同じ行動でも、「引けないだけ」と「選んでいる」では、まったく意味が違います。
「下げない」は、過去への執着とも、未来への意思とも読める。決めるのは、本人。
どちらの解釈が正しいか、外からは分からない
重要なのは、ここです。ある人が条件を下げないとき、それが「誤謬」なのか「意思」なのかは、外から見ただけでは判断できません。
- 本人が、苦しみながら引けないでいるなら → 誤謬かもしれない
- 本人が、納得して選んでいるなら → 意思である
つまり、「条件を下げないのはサンクコストの誤謬だ」と一括りにするのは、本人の内面を、外から決めつけることになります。
自分に問うべきこと
大切なのは、他人にラベルを貼られることではなく、自分で確かめること。
- 私は、過去に縛られて引けないでいるのか
- それとも、納得して、選んでいるのか
この問いに、自分で答えられるなら、それは「意思」です。
今日から
「条件を下げないのは、ただの意地」と言われたら、自分に問い直してください。
「下げない」は、誤謬か意思か。それを決められるのは、外野ではなく、あなた自身。
過去に縛られているのではなく、自分の意思で選んでいる——そう胸を張れるなら、誰にも、それを否定させなくていいのです。