同窓会で、同い年なのにフルマラソンを走る友人の話を聞いた。SNSで、同世代が早朝ジムやサウナを楽しそうに投稿している。それを見るたび、なぜか胸の奥がチクリとする。「同じ歳なのに、私はこんなに疲れやすい」。そんなふうに、自分を採点していませんか。
でも、少し立ち止まりたいのです。体力を「同世代」というくくりで比べること自体に、どれだけの意味があるのでしょう。生まれた年が近いというだけで、なぜ同じ走力や回復力を求められなければならないのか。
体力は、年齢で揃うものではありません。育った環境も、生活も、体質も、これまでの歩みも、一人ひとり違います。同じスタートラインに立っていないものを、同じゴールで測る。その採点表から、今日は降りてみましょう。
同じ年に生まれたことは、同じ体を持つ理由になりません。
「同世代」というくくりの正体
「同い年なのに」という言葉には、見えない前提が隠れています。年齢が近ければ体力も近いはず、という思い込みです。
- 生まれ年が同じでも、体質も持病もばらばら
- 運動習慣の有無で、土台がまるで違う
- 睡眠・仕事・家庭の負荷も人それぞれ
- 「同世代」は便利な言葉だが、中身は雑なくくり
くくりがゆるむと、比べる意味も静かにほどけていきます。
比較は、スタート地点を無視している
比較が苦しいのは、いつも結果だけを並べるからです。そこに至るまでの道のりは、まったく映っていません。
- 10年運動を続けた人と、今から始める人は別の地点
- 元の体力も、回復力も、最初から差がある
- 見えているのは結果だけで、過程は隠れている
- スタートが違えば、同じ評価軸は成り立たない
並んでいるように見えて、本当は誰も同じ列にいません。
比べているのは結果。けれど、人生は過程でできています。
数字より、自分の感覚を信じる
体力を測るとき、つい歩数やタイムといった数字に頼りがちです。でも、あなたの体の状態を一番よく知っているのは、数字ではなくあなた自身です。
- 「今日は軽い」「今日は重い」という体の声を拾う
- 昨日の自分と比べる程度で、ちょうどいい
- 数字はあくまで目安。体調の絶対評価ではない
- 気になる疲れやすさが続くなら、専門家に相談を
外の物差しを置くと、自分の感覚が戻ってきます。
体力は「勝ち負け」ではない
いつのまにか、体力が誰かと競うものになっていませんか。本当は、あなたが心地よく一日を過ごすためのもの。順位をつける対象ではありません。
- 速い・多いが「偉い」わけではない
- 元気そうな人が幸せとは限らない
- 自分の暮らしを支える体力で、十分に足りている
- 競争を降りても、失うものは何もない
今日から
同世代と体力を比べる意味は、どこにもありません。あなたの体は、誰かと競うためではなく、あなたが生きるためにここにあります。
今日からは、隣の誰かではなく、自分の体の声に耳を澄ませてみましょう。疲れたら休む。動きたければ動く。それだけで、あなたの体力はあなたのものに戻ります。比べる列から降りたあなたを、Épanouieはいつでも味方として見ています。