「35歳を過ぎたら、もう下り坂だから」。雑誌でも、SNSでも、ときには善意の言葉として、その一言を聞かされてきました。聞くたびに、まだ何も失っていないのに、何かを失ったような気持ちになる。そんな経験はありませんか。
でも、立ち止まって考えてみたいのです。その「坂」は、いったい誰が引いたのでしょう。あなたが自分の体を見て決めたものではなく、どこかから降りてきた前提ではないでしょうか。
体には、たしかに変化があります。それは事実です。けれど「変化」と「下り坂」は、まったく別の言葉です。下り坂という言い方には、価値が落ちていくという意味がこっそり混ぜ込まれています。そこを、ほどいていきます。
体は変わります。けれど、下っているとは限りません。
「下り坂」という言葉に混ざっているもの
「衰え」という言葉は、変化を一方向に決めつけます。本当は、増えるものも、深まるものもあるのに。
- 「年齢=劣化」という、いつのまにか刷り込まれた等式
- 若さだけを頂点に置く、たった一つのものさし
- 変化を「損失」としか数えない、偏った計算式
- 不安を煽ると物が売れる、という市場の都合
言葉を疑うだけで、坂の傾きは少しゆるみます。
「事実」と「圧」を分けて見る
体の変化には、目安として知られている事実があります。一方で、その事実に乗せられた「だから痩せなきゃ」「だから若く見せなきゃ」という圧は、別物です。
- 代謝やホルモンの変化は、あくまで一般的な目安
- 個人差は大きく、年齢で一律に語れない
- 「事実」を理由に体型を責める必要はない
- 気になる症状は、ネットの言説ではなく専門家へ
事実は冷静に受け取り、圧だけは静かに降ろしていきましょう。
知ることは、責めることではありません。
比較という坂から降りる
下り坂の感覚は、たいてい「過去の自分」や「若い誰か」との比較から生まれます。比べる相手を変えれば、景色も変わります。
- 20代の自分ではなく、今日の自分を基準に
- SNSの加工された体ではなく、現実の体を見る
- 「できなくなったこと」より「続けていること」を数える
- 他人のペースと、自分のペースを混ぜない
比較をやめた地点に、ようやく自分の体が立ち現れます。
体を「敵」から「相棒」に戻す
下り坂の物語の中では、体はいつも管理し、矯正する対象でした。でも本当は、ずっとあなたを運んできてくれた味方です。
- 何十年も、休まず動いてくれている事実
- 痛みや疲れは、責めるサインではなく対話のサイン
- 整えるのは「正解の体型」のためではなく、心地よさのため
- ケアは罰ではなく、敬意のかたち
今日から
「下り坂」は、あなたの体の真実ではなく、誰かが引いた一本の線にすぎません。
その線を、今日そっと引き直してみましょう。あなたの体は、これまでもこれからも、あなたと一緒に時間を重ねていく相棒です。衰えるためでも、誰かの目を満たすためでもなく、あなたが生きるために、ここにあります。坂の上に立つあなたを、Épanouieはいつでも味方として見ています。