「遠慮深くて、いい人だね」。長く、美徳とされてきた、遠慮という態度。
でも、その遠慮が、あなたが磨いてきた力を、埋もれさせていないでしょうか。遠慮は、美徳ではなく、ただの「癖」かもしれません。この章の締めくくりに、見つめてみましょう。
敵は人ではなく前提。「遠慮は美徳」という、内面化された前提を見直します。
「遠慮=美徳」という、刷り込み
「遠慮しなさい」「控えめに」。特に女性は、こう育てられることが、多くありました。
その結果、「遠慮することは、いいこと」という前提が、深く内面化されています。遠慮しないと、なんだか、わるいことをしている気がする。これも、刷り込みのひとつです。
遠慮が、力を埋もれさせる
でも、行きすぎた遠慮は、こんな結果を生みます。
- 磨いてきた実力を、見せられない
- 正当な評価を、受けられない
- 機会を、人に譲ってしまう
- 「いてもいなくても同じ」に、なってしまう
せっかく力を磨いても、遠慮で埋もれさせては、もったいないのです。
遠慮は美徳ではなく、磨いた力を、自分で埋もれさせてしまう癖かもしれない。
「遠慮」と「謙虚」は違う
ここで、区別が大切です。
- 謙虚 — おごらず、学び続ける姿勢。これは美徳
- 過度な遠慮 — 自分の力を、不当に低く見せること。これは癖
謙虚さは保ちつつ、過度な遠慮は、手放していい。力を正当に示すことは、おごりではありません。
「癖」なら、変えられる
遠慮が「美徳」ではなく「癖」だと捉え直すと、変えられるようになります。
- 癖は、意識すれば、直せる
- 「遠慮しなきゃ」を、手放してみる
- 自分の力を、適切に示す練習をする
美徳だと思っていると変えられませんが、癖だと分かれば、変えていけます。
力を、埋もれさせない
あなたが磨いてきた力は、誰かのために、世の中のために、使われるべきものです。
- 遠慮で、埋もれさせない
- 正当に、示していい
- 力を発揮することは、わがままではない
磨いた力を活かすことは、自分のためだけでなく、周りのためにもなります。
今日から
「遠慮しなきゃ」と思ったら、問い直してください。
遠慮は美徳? それとも、磨いた力を埋もれさせる癖?
謙虚さは保ちつつ、過度な遠慮は手放していい。あなたが磨いた力を、どうか、埋もれさせないでください。