昇進の打診、新しいプロジェクト、人前で発言する機会。「今回は、やめておこう」と、手を挙げないことがあります。
その判断自体は、悪くありません。でも、手を挙げない理由が、いつのまにか「女だから」になっていないか——一度、確かめてみる価値があります。
敵は人ではなく前提。自分の判断に紛れ込む、無意識の前提を見つめます。
「やめておく」の、本当の理由
手を挙げないとき、私たちは、もっともらしい理由をつけます。
- 「今は、タイミングじゃない」
- 「自分には、まだ早い」
- 「家庭のことも、あるし」
- 「目立ちたくないから」
これらは、一見、合理的です。でも、その奥に、「女だから、控えめにすべき」という前提が、隠れていないでしょうか。
無意識に、紛れ込む前提
内面化した固定観念は、こんなふうに、判断に紛れ込みます。
- 「女性は、出しゃばらないほうが」→ だから手を挙げない
- 「女性は、家庭優先で」→ だから挑戦を見送る
- 「女性のリーダーは、煙たがられる」→ だから遠慮する
本人は「自分で判断した」つもりでも、その判断の前提に、植え付けられた固定観念が、影響していることがあります。
「やめておく」理由の奥に、「女だから」が無意識に紛れていないか、確かめていい。
確かめる、問い
手を挙げないと決める前に、自分にこう問うてみてください。
- もし、性別が関係なかったら、どうする?
- 「女だから」を抜いても、同じ判断をする?
- これは、本心? それとも、刷り込み?
性別の前提を抜いて考えてみると、本当の気持ちが、見えてきます。
「やめておく」が本心なら、それでいい
誤解のないように。手を挙げないこと自体が、悪いわけではありません。
- 本心から「やりたくない」なら、見送っていい
- 戦略的に「今回は」と判断するのも、賢い
- 大事なのは、その判断が「本心か、刷り込みか」
「女だから」という刷り込みで、本当はやりたいことを諦めていないか。そこだけ、確かめるのです。
今日から
挑戦を見送りそうになったら、確かめてください。
この「やめておく」、本心? それとも「女だから」という刷り込み?
性別の前提を抜いて、本心に問い直す。それだけで、植え付けられた理由に、人生を狭められずに済みます。