「わかるよ、大変だよね」。味方のはずの言葉なのに、なぜか少し、心が冷めた——。そんな経験は、ありませんか。
味方になろうとする善意が、いつのまにか、当事者の声を奪ってしまう。その構図と、本当の連帯のあり方を考えます。
男性に限らず、あらゆる「支える側」に通じる話です。
「わかるよ」が、冷める理由
味方の言葉に、なぜ冷めてしまうことがあるのか。それは、こんな構図が潜んでいるからです。
- 「わかる」と言うことで、相手の経験を「自分も知っている」ことにしてしまう
- 当事者の固有の痛みが、一般化されてしまう
- いつのまにか、語る主役が、入れ替わる
善意であっても、「代弁」が「主役交代」になると、当事者は声を失います。
「代弁」の落とし穴
味方が陥りやすいのが、「代弁」のしすぎです。
- 当事者に代わって、説明してしまう
- 「こういうことだよね」と、まとめてしまう
- 議論の中心に、支える側が立ってしまう
代弁は、ときに必要です。でも、行き過ぎると、当事者の主体性を、奪ってしまいます。
本当の連帯は、当事者の代わりに「語る」ことより、当事者のために「席を空ける」こと。
「席を空ける」という連帯
では、本当の連帯とは何でしょう。それは、語ることより、席を空けることかもしれません。
- 当事者が、自分の言葉で語れる場をつくる
- 自分が前に出るのではなく、後ろから支える
- マイクを、当事者に渡す
支える側の役割は、主役になることではなく、主役が輝ける場を整えることです。
支える側の、具体的な振る舞い
- 聞く — 自分の解釈を急がず、まず耳を傾ける
- 問わない苦労を、想像する — 「わかる」より「教えて」
- 手柄にしない — 支援を、自分の評価にしない
- 場を譲る — 当事者が語れるよう、後ろに回る
これは、男性が女性を支える場面だけでなく、あらゆる「支える―支えられる」関係に通じます。
善意を、活かすために
味方になりたい気持ちは、とても大切です。その善意を、本当に活かすために——
- 「助けてあげる」ではなく「ともにいる」
- 「語る」より「聞く」「席を空ける」
- 当事者の主体性を、何より尊重する
今日から
誰かを支えたいと思ったら、思い出してください。
本当の連帯は、代わりに語ることより、席を空けること。
味方になるとは、前に出ることではなく、当事者が輝ける場を整えること。その振る舞いが、声を奪わない、本物の連帯になります。