「もう、いい歳だから」。そう口にするとき、私たちは何を見ているのでしょう。
たぶん、カレンダーです。数字が増えていくたびに、できることが減っていく気がする。誕生日が、祝福ではなく、締め切りのように感じられる日もある。
でも、立ち止まって考えてみてください。「遅い」と判定したのは、本当にカレンダーでしょうか。それとも、カレンダーを見て勝手に焦った、誰かの声でしょうか。
数字は、ただ流れているだけ。そこに「もう遅い」と書き込んだのは、あなたではない誰かです。
カレンダーは、何も決めていない
カレンダーがしているのは、日付を並べることだけです。
それ以上のことは、何ひとつしていません。
- 「35歳までに」と期限を切ったのは、カレンダーではない
- 「この歳でそれは」と眉をひそめたのも、カレンダーではない
- 焦りも、引け目も、数字そのものが生んだものではない
数字に意味を貼りつけたのは、いつも人間の側です。そして、その意味は、時代が変われば簡単に塗り替わってきました。
「遅咲き」という言葉が教えてくれること
花には、咲く時期がそれぞれあります。
桜は春に。金木犀は秋に。誰も金木犀に「桜より遅い」とは言いません。
- 早く咲く花が、優れているわけではない
- 遅く咲く花が、出来損ないなわけでもない
- ただ、咲くタイミングが違うだけ
あなたの「まだ」は、遅れではなく、あなたの季節がまだ来ていないだけなのかもしれません。咲いていないつぼみを、枯れたと決めつける必要はありません。
早咲きと遅咲きに、優劣はありません。あるのは「それぞれの時計」だけです。
主導権を、自分の手に戻す
「もう遅い」と思った瞬間、人生の判定権は、自分の外側に渡っています。
世間の平均、誰かの人生、見えない時刻表。そのどれかに、自分の価値を採点させてしまっている。
- 「遅いかどうか」を、外の物差しに決めさせない
- 始めたいと思った今日が、自分にとっての適齢期
- ペースを決めるのは、カレンダーではなく、自分
主語を「私」に戻すと、問いが変わります。「もう遅いだろうか」ではなく、「私は、今、どうしたいだろう」。後者にしか、前へ進む力は宿りません。
焦りは、敵ではなく合図
焦りが湧くのは、心のどこかに「やりたい」があるからです。
どうでもいいことに、人は焦りません。焦りは、あなたが何かを本気で望んでいる証拠でもあります。
- 焦りを責めず、「何を望んでいる?」と聞いてみる
- 急ぐためではなく、確かめるために、その声を使う
- 比べて落ち込むのではなく、自分の願いに気づく材料にする
今日から
カレンダーをめくる手は、あなたのものです。日付に裁かれるのではなく、日付を使う側に立っていい。
遅いかどうかを決めるのは、カレンダーではなく、あなた自身です。
数字が増えても、あなたの季節は奪われません。咲きたいと思ったその日が、あなたにとっての、いちばん早い一日です。