仕事帰りに、ひとりで入った定食屋。カウンターの端の席。湯気の立つ味噌汁と、ちょうどいい焼き加減の魚。小鉢のひじきが、妙にほっとする味だった。食べ終えて、お茶をひとくち飲んで、伝票を持ってレジへ。お会計をして、扉を開けて外へ出る。
おいしかったな、と思いながら。でも、その「おいしかった」は、たいてい心の中だけで完結します。
考えてみると、不思議なことです。作った人は、すぐそこの厨房にいるのに。湯気の向こうに、白い調理服の背中が見えていたのに。味の感想が作り手に届くことは、案外少ないのです。お皿が空になって返ってくる、それだけが手がかりという日も多いはずです。何十食つくっても、声はひとつも返ってこない。そういう夜が、厨房には普通にあります。
会計のついでに、ひとこと
特別なことを言う必要はありません。お会計のとき、お釣りを受け取る流れのままに、ひとこと添えるだけです。
- 「おいしかったです」
- 「ごちそうさまでした、おいしかったです」
- 余裕があれば「お味噌汁、おいしかったです」と一品だけ名指しする
長い感想はいりません。気の利いた言い回しも、グルメな語彙も不要です。むしろ短いほうが、会計の流れを止めずに、すっと渡せます。照れくさければ、お釣りを受け取って一歩下がるときに、小さな声でも大丈夫です。
料理を作った本人がレジにいないこともありますが、こういう言葉は厨房まで届くものです。「さっきのお客さん、おいしかったって」。その一往復が、店の午後を少し明るくします。とくに一品を名指しした感想は強い。「ああ、あのひじき、ちゃんと伝わったんだ」と、作った人は明日もう一度、丁寧に出汁を取る理由をもらえるからです。
空いたお皿は雄弁ですが、声に出した「おいしかった」には敵いません。
温かくなって店を出るのは、自分
このひとことの面白いところは、言った側の変化です。心の中の「おいしかった」を声にして置いて帰ると、なぜか自分のほうが温かくなって店を出ることになります。
黙って出た日と、ひとこと言って出た日。食べたものは同じ、払った金額も同じなのに、扉の外の空気が少し違う。誰かに何かをまっすぐ手渡せたという感覚は、食後の満足に、もうひとつ別の満足を重ねてくれます。ひとりの外食が、ほんの少しだけ、人とのやりとりのある時間になるのです。誰とも約束のない日でも、「今日、いい一言を言えたな」という小さな事実が、帰り道のお守りになります。
感想を伝えた瞬間、その食事はもう一度おいしくなります。
忙しい時間帯で、店員さんが「ありがとうございます」と言う間もなく次の会計に移ることもあるでしょう。反応が薄くても、がっかりしなくて大丈夫。言葉は置いてきた時点で、ちゃんと役目を果たしています。あとで思い出されるかもしれないし、思い出されなくてもいい。置いてきた言葉の温度は、もう自分の中に残っています。
言えない日が、あってもいい
疲れていて、声を出すのもおっくうな日。黙って食べて、黙って帰りたい日。そんな日は、心の中の「ごちそうさま」だけで十分です。できない日があるのは、自然なことです。お店だって、静かに食べて静かに帰るお客さんを、ちゃんと歓迎しています。
次にどこかで、おいしいものに出会えたら。扉を開ける前に、ひとことだけ置いていく。それは作った人への小さな光であると同時に、帰り道のあなたを照らす光にもなってくれます。