給湯室でマグカップを洗い終えたあと、シンクのまわりに飛んだ水滴。コピー機のわきに落ちた、ホチキスの針と紙の切れはし。
いつもなら、見なかったことにして戻ります。自分が汚したわけでもないし、急いでいるし、誰の仕事でもない場所だから。
でも、なんだか気持ちが沈んでいる日。何をしても手応えがない日。そういう日にこそ、試してみてほしいことがあります。
その場所を、来たときより、ほんの少しだけきれいにして去る。それだけです。
「次の誰か」への、宛名のない手紙
シンクの水滴をペーパータオルでひと拭きする。コピー機の紙くずをつまんでゴミ箱へ。所要時間は10秒、長くて30秒。
これは、次にそこへ来る「誰か」への親切です。その誰かが誰なのか、あなたは知りません。隣の部署の人かもしれないし、話したことのない人かもしれない。
相手は、きれいになっていることに気づきさえしないでしょう。汚れていないシンクは、ただの普通のシンクですから。
気づかれない親切は、お返しも評価も発生しません。だからこそ、いちばん純度が高いのです。
「ありがとう」と言われるための行為ではなく、誰の点数にもならない行為。見返りの回路が完全に切れているからこそ、これは珍しいくらい静かで、きれいな行いになります。
先に変わるのは、自分の景色
不思議なことに、この10秒の効き目は、まず自分に来ます。
- 「やらされた仕事」ではなく「自分で選んだ行為」をひとつ持てる
- 散らかった場所をひとつ整えると、頭の中も一緒に少し整う
- 「誰も見ていなくても、ちゃんとしている自分」という小さな証拠が残る
一日じゅう、メールの返信や頼まれごとに追われていると、自分の意思で動いた時間がゼロのまま夕方になることがあります。そんな日の、シンクをひと拭きする10秒は、その日でいちばん「自分の行為」らしい時間かもしれません。
誰も見ていない場所でどう振る舞うかは、誰にも知られないまま、自分の自己紹介になっていきます。
ノルマにしない、が続けるコツ
ひとつだけ、気をつけたいことがあります。これを「やるべきこと」にしないことです。
毎回やらなくていい。見て見ぬふりをする日があっていい。疲れ果てた日に、他人の汚した給湯室まで背負う必要はまったくありません。できない日があるのは、当たり前のことです。
気が向いたときだけ、ひと拭き。それくらいの軽さが、いちばん長持ちします。
来たときより少しだけきれいに。世界に対しても、自分に対しても、それで十分です。
明日、給湯室かコピー機の前に立ったら、思い出してみてください。やってもやらなくてもいい10秒が、そこに置いてあります。
もし手が動いたら、その日のあなたは、誰にも知られずに、ひとつ光を置いて帰る人です。