昼休みのコンビニ。おにぎりとコーヒーを持ってレジに並び、ふと、胸元のバッジに気づく。「研修中」。手元はぎこちなく、バーコードがうまく読み取れなくて、何度も同じ面を機械にかざしている。隣では先輩らしき人が、別のレジを打ちながら横目で見守っている。本人は、伸びていく後ろの列を、ちらりちらりと気にしている。
その横顔を見て、思い出すことはないでしょうか。自分の「最初の日」のこと。
初めての職場で、電話が鳴るたびに肩がこわばった日。先輩の操作を必死にメモして、家で読み返した夜。コピー機の前で立ち尽くした午後。誰にでも、何をするにも人の倍の時間がかかった季節がありました。あの小さなバッジは、いままさにその季節の中にいます、という控えめなお知らせです。
急かさないだけで、立派な応援
研修中の人にとって、いちばんのプレッシャーは、操作の難しさそのものより「待たせている」という感覚だと言われます。焦れば焦るほど手は滑り、ミスはミスを呼びます。背中に並ぶ視線の数だけ、画面の文字は頭に入らなくなります。逆に言えば、急いでいない雰囲気のお客さんがひとり目の前にいるだけで、その会計の数分は、ずっと呼吸がしやすくなります。
やることは、ほとんど「しないこと」です。
- 時計やスマホを、ちらちら見ない
- もたついても、表情を変えずに待つ
- 袋詰めなど、自分でできることはのんびり自分でやる
- お釣りを受け取るとき、急いで手を出さない
声をかける勇気は要りません。「頑張ってね」と言えたら素敵ですが、言えなくてもいい。ただ、急いでいない人としてそこに立つ。それだけで十分です。応援というのは、拍手や声援の形をしていなくても、ちゃんと応援になります。
「ごゆっくりどうぞ」は、言葉にしなくても伝わります。
待つ数分が、自分にくれるもの
不思議なことに、誰かを急かさないと決めた数分は、自分の気持ちもゆるめてくれます。「早く早く」と思いながら待つ時間はとても長く感じますが、「ゆっくりでいいよ」と思いながら待つ時間は、案外短いのです。同じ数分なのに、心の置き方ひとつで、時間の流れる速さまで変わってしまう。
それに、研修中のバッジは、自分への小さな問いかけにもなります。最初の日の自分は、周りの人にどう待っていてほしかったか。レジの向こうで「ゆっくりでいいですよ」と笑ってくれたお客さん。「最初はみんなそうだよ」と言ってくれた先輩。あのとき優しくしてくれた誰かの顔を、ひとつでも思い出せたら、その記憶ごと温かくなれます。誰かに待ってもらった記憶は、今度は誰かを待てる力に変わっていくのだと思います。
誰かの最初の日に居合わせるのは、ちょっとした縁です。
相手はあなたの心の中までは知りません。ただの無口なお客さんだと思われて終わるかもしれません。それでいいのです。この親切は、気づかれなくても、その場の空気として確かに働いています。そして店を出るとき、なぜか自分の肩の力も、ひとつ抜けています。
余裕のない日は、普通でいい
急いでいる日、心がすり減っている日に、無理に菩薩になる必要はありません。そわそわしてしまう日があって当たり前です。できない日のことは、どうか責めないでください。
ただ、時間に少し余白のある日、あの小さなバッジを見つけたら。ほんの数分だけ、世界でいちばん急いでいない人になってみる。その人の今日が少し楽になって、あなたの今日も、少しやわらかくなるかもしれません。